信州の焼肉聖地、長野県飯田市では、明治時代から牛肉を食し、農耕、繊維産業で活躍した家畜を残さず食べ、さらに高品質な和牛も生産する、まさに牛豚羊の焼肉デパート。炭火だけでなく、宅配焼肉によって定着した鉄板や味比べの熟成ダレにも要注目。
飯田の焼肉が一気に広がったのは、綿羊産業に起因した羊焼肉。当時はジンギスカン鍋がメイン。
内陸にある飯田では、農業も物流も動物が大事。どんなお肉も大切に、内臓も大切に美味しく食べてきた文化が根底にあります。
飯田では醤油ベースでじっくり熟成させたたれが基本。自家製だれの文化もあります。
山岳部で農業を営む人たちにとって極めて重要であった農耕馬。その命を余すところなく食べるという先人の思いから生まれた、馬の内臓の煮付け、それがお手繰り。発祥の店では、馬のホルモンをしたごしらえするときに、腸を手繰り寄せながら進めていく様子から「おたぐり」と命名されたという歴史をもつ。命を大切にいただくという、人類として、人として最も大事な事を教えてくれる逸品があり、日本屈指の飯田焼肉がある。現在では、ホルモンの事を「おた」という人もいるくらい、おたぐりは飯田焼肉に大きな影響を与えています。
もともと肉を大切に食べる文化が根ざしていた飯田では、昭和初期から始まった綿羊産業の影響を受け、羊の肉を大切に食べる焼肉文化が定着。当時は皆家庭でジンギスカン鍋と七輪を使って自宅焼肉を楽しんでいたものの、強力な匂いと煙を奥様がたが嫌がり、気づけば皆外で焼肉をするようになった、との説もある。現在綿羊産業は見られなくなりましたが、マトンを食べる文化はしっかりと根ざしています。
4つある牛の胃袋のうち1つ目の胃袋であるミノを皮付きで食べるという逸品がこの黒ミノである。ミノから歯応えのある上ミノを取り出した後、残った箇所も大事に食べよう、ということで広がったのがこの黒ミノであるが、広がるには理由がある。その理由は、単純に美味しいから。皮目の方を焼くと、サクサク、カリカリとした食感が仕上がり、一方中身の身質はフワッと柔らか。この食感のコントラストにさらにタレを潜らせると、忘れられない逸品となる。
昭和9年、兵庫県から南信州牛の起源となる黒毛和牛が購入され、発祥した。和牛は農耕などに使う役畜としても働き、子供も産み、そして最後は美味しい食肉にもなる、ということで和牛飼育が定着し、現在の南信州牛の基盤が出来上がったとされる。兵庫といてば、和牛の頂点であり源流とも言われることも多い、但馬牛があるが、南信州牛も但馬牛の流れを汲む。その品質は極めて高く、京都食肉市場特選牛認定が続々と続いている。なかなかお目にかかられない高級肉だが、出会った時は迷わず食べる事をおすすめしたい逸品。
飯田焼肉のタレは、醤油ベースににんにくと唐辛子でアクセントを加えた熟成だれ。熟成により味の一体感を増したこの熟成だれが飯田焼肉の様々な焼肉部位を包み込み、どのお肉も美味しく仕上がります。実はこのたれ、飯田焼肉発祥でもあるジンギスカンの時代から引き継がれており、お店だけでなく家庭でも自慢のタレを作り焼肉を楽しんできたという文化が根ざしています。